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#友永ヨーガのインドツアー その3(2023年9月催行・第17回目)


アシュラム3日目(9月19日(火))


この日が一番忙しく、充実した日だったでしょうか。

5時瞑想、6時アーサナ、7時すぎの朝ごはん。


11時にスワミ・ヨーガスワルパナンダジのお話。

「人生で起こることは、では全部決まっているのか?」



ヨーガ、瞑想を深めて、日々生活すると、多くの方は、「ダルマ」そして、「カルマ」という言葉にであい、それを考えると思います。

長らく学院を指導くださってきている、スワミ・ヨーガスワルパナンダジにお話しを伺いました。


14時に、ダンサー/シンガー組と12期組(班分けした名前です)がスワミ・カーティケヤンジのお話を聞きました。

「報酬を求めない?感謝もなにも?」



カルマという言葉とともに、カルマ・ヨーガという言葉も、ヨーガを進めていくと突き当たるものです。


「行為の結果を求めずに行動する」ことがカルマ・ヨーガとされますが、それは、「感謝」という無形のものも求めないほうがよいのでしょうか?


16:30 スワミ・パドマナバナンダジにお話しを伺いました。

「気づきを重ねることで解脱に至るのか?」

「アヒンサはどこまで守らないといけないのか?」

「人との対立、不調和を感じるが、自分を無くすことはできない。非暴力あるいは、寛容をどこまで貫いたらよいのか?」



この日三回目のレクチャーの機会。たくさんの質問がでました。


参加者の皆さんに、お話を再構成していいただき、その感想などをこちらに許可を頂い掲載いたします。






シバナンダ・アシュラム スワミ・ヨーガスワルパナンダジのお話 
11:00 スワミ・ヨーガスワルパナンダジのお話 


「スワミ・ヨーガスワルパナンダジから、ヨーガは科学である。ヨーガは身体と呼吸と心が調和すること、そして自然と調和すること。八支則も四住期も、どのように生きるか、ただハーモニーを教えている。これはアーサナで三昧に至ることもあれば、 瞑想から三昧に至ることもあるので、どちらが先ということではなさそうです。


心を縛らないでリラックスすると必要ないことは考えなくなり、ただ呼吸するだけになる。


『本当の義務は神様を見ることです』


この考えがあるから、人は一人では生きられないが、他者との関わりで痛み、苦しむという矛盾(これがカルマ?)から、するりと抜け出すことができると思いました。


しかも、私たちの意識はもともと光へと向かう性質を持っています。生まれながらに私たちは善なるもの、仏性を持っているという考えと同じだと思いました。その光の中に神様がいて、そしてその光は自分自身の生命の輝きだと気づくのだと思います。それを神聖なる人生、The Divine Life と呼んでいるのかなぁと思いました。


スワミ・パドマナバナンダジ。休息について。ヨーガは活動を制限し、休めるようにしてくれる。緊張して活動すると平和がない。どんなに忙しくても平和に仕事をするのがヨーガ。アスリートは平安でないと100%の力を出せない。緊張していると出せない。ハードル選手だった為末大さんが求めたもので、今も禅の勉強をされています。


ブルース・リーは何人も倒してゆくが、心は集中して、静か。リラックスしているから集中できる。なるほど、隙がないとはそういうことですね。ブルース・リーの有名なことば「考えるな、感じろ」。集中して気で動く。ヨーガに到達した方が、そう言うのですね。


スターウォーズのヨーダも同じセリフがあります。「感じましょう!」最後の方で、とても良い言葉に出会いました。


「あなたが静かにすれば悪いことをされなくなる。ヨーガのトレーニングでそうなる。私たちの良さが相手を変える」


ありがとうございました」




「11時~のスワミ・ヨーガスワルパナンダジのお話は、私が今回知りたかった『ダルマ』についてでした。


『ダルマ』=法 特に『サナタナ・ダルマ』が目の前の世界の普遍的な法則であるということがわかりました。 その他の『ダルマ』、特に個々の人間の『ダルマ』についてもお聞きできればよかったなと思います。このお話も心に響いたお言葉がいくつもありましたが、特に心に残ったのが『私』という意識について。意識だけが現実であり、それ以外は変わっていくものである。『見る』というのは『目』で見ることではない。意識で全てを『見る』のだ。 意識というものは目には見えないものを見るものである。感覚器官ではなく、それを超えたところで全てを見る…これからの生き方が変わるお言葉でした。


16時半~のスワミ・パドマバナナンダジのお話もとても理解しやすかったです。 ここでも呼吸(プラーナの動き)についてのお話がありました。 ・休息=Shanti ・活動=Activity 両者のバランスが大切だと…。 そしてヨーガは『活動しながら休息すること、平和になるための練習』だとおっしゃっていました。 そしてもう1つ心に残ったのが『目を閉じること』について。 私たちはなぜ神社仏閣で目を閉じるのか?それは目を閉じることによって自分の内側に意識が向かうから…。 自分の内側は常に平安である。いつもその平安を感じていれば不安はなくなる。人生をより良く生きていくために大切な教えであり、今すぐに実践できるものだと思いました」








シバナンダ・アシュラム スワミ・パドマナバナンダジのお話
16:30 スワミ・パドマナバナンダジのお話





「日を重ねるごとに、集中した静かさの中で過ごしていたので(何か活動をしていてもたとえば掃除をしたり、散歩をしたり、ご飯を食べてる時なども)、余計な考えも浮かばず、日に日に自分の心のお喋りが止まり 穏やかで、マインドフルネスそのものでした。


以下は、16時半のパドマナンダジの言葉をメモしたものです。


【人生の2つの側面とは】

休息と活動 休めるということは、神様がくれたギフト

ブラーナ サンスクリットで動き

それぞれの活動のレベルにおいて発生する 呼吸 

早い/遅い よく休むことができたら 起きた時活動的でいれる

しっかりと休むことが大切である

休息=平和、シャンティともいえる

アクティビティ

ヨガは活動をコントロールする よく休むこと 

休息が伴っている活動

ヨガを学ぶことで活動しながら平穏でいることができる

ヨガを修練していると どんなに忙しくても平穏でいられる どんな仕事をしていても、わたしたちは平穏を保つことが大切 そうすればそこに100%集中することができる それがカルマヨーガと言える

心が静かであること リラックスしていることが必要である

心が騒ぎ立てられないでいる、ということがサマディ

ヨガはそこに到達させてくれるものである


なぜ、わたしたちは神社などにいって目を閉じる?

偶像に会いに行ってるのに?

そこで自分の内側をみている

目を閉じた途端そこに幸せがある

外の世界と分けるために目を閉じることでうちの世界と隔てている


プラーナヤマをなぜ行うのか?

ヨガというのは 自分自身と平和でいる練習

アクティビティ・イン・レスト・イン・ピース

もし休まなければ? 私たちはちゃんと活動することができない

人生を静かに、豊かにすることごできる →そうすれば不安がなくなる

不安の正体は? 安心がない状態

楽しい、エキサイトしている状態は? →ほんとうの幸せとは少し違う。 幸せはCalmness.


ヤマ、 どのくらい非暴力を守るのか?

頭で理解してはいけない

人は人の痛みをわかって初めて同情できる

私たちの本性はディバイン(Divine)

ただ、外の環境によって良くも悪くも影響をうける

非暴力はみなさんの中にすでにある

ゴキブリ殺しちゃった、、大丈夫? →自分の中の良いものを信じてください(良心) 何かひっかかるものがあればそれはしなければいい


意見の相違があるとき

あなたが静かになればなるほど 相手はあなたに悪いことができなくなる

ヨガの練習は 高みにもっていくということ(思考のネガティヴさなども) 私たちの良さ、が相手を変えていくのです」





「11時スワミ・ヨーガスワルパナンダジのお話。


まず最初にキールタンを私たちにたくさん歌わせ、そして夜のサットサンガで歌うようにとの仰せでした。


印象に残ったお言葉:


『ヨーガは科学=scienceである。呼吸は宗教ではない』

『ヨーガは国や宗教を問わない。どのように呼吸してリラックスするのか。それがヨーガである』

『この世に生きなさい。この世で生きなさい』 

(by Swami Sivananda)


大学生のころいろいろ嫌になって、”悟りを開いて仙人?になり、人里離れた場所で、他人と関わらない生活を送りたい”と思ったことがあります。 そのあと普通の?社会人・組織人となり、目の前の仕事や生活で精一杯になってしまって、いつの間にかそのような考えは消えましたが。 答えを改めて頂いた気がします。


16:30 スワミ・パドマナバナンダジのお話。


ヨーガは、良く休むことである。 ヨーガの求めるものは、平安(心が騒ぎ立てられない状態)を保つこと、自分自身と仲良くなり平和になること。 寺院に行って偶像に祈るとき、目をつぶる理由。プラーナヤーマを行うときに目を閉じる理由。 いずれも同じ。目を閉じることで思考を止め、心が自由になる。


ここで私から質問させていただきました。


Q.人間には『喜び』とか『嬉しい』という感情がある。 嬉しいとき人はわくわくする。『喜び』も抑えなくてははいけないのでしょうか?


A.それは『興奮状態』であって、『幸福』とは違うものではないか? 回答を伺ったとき、私の中から『静かな喜び』という言葉が浮かんできて、なるほど!と納得しました。 私はドキドキ・わくわくして最後はハッピーエンドで終わる映画(ハリウッド映画にありがち)が好きですが、それは喜びや楽しみというよりは興奮を求めているんだな、と。


そのあと他の質問への回答のうち、 『非暴力はあなたの中にある。自信をもって良い。自分の良心に咎めることがあれば、しちゃいけない』。 『相手の中の良いところに語りかける。例えば、子供に他者と物を共有することを教えるときに≪あなた良い子だから分けてあげなさい≫と言うでしょう?』 という言葉が印象に残りました。 私の尊敬する知人が、”神様とは、一人一人の心の中の『良心』とも言える”と以前言っていたのですが、その言葉も思い出しました」




「スワミ・パドマナバナンダジのお話。


『気づきを重ねることで解脱に至るのか?』


こんなお話しでした。 人生には2つの側面がある。それは休息と活動。休息は神様がくださった大切な側面。しっかり休むことが大切。休息とは平和、シャンティ。ヨーガは活動をコントロールして、よく休めるようにする。活動しながら平和でいられる。平和であることで、100%集中でき、100%の仕事ができる。それがカルマヨーガ。 引用されたブルース・リーの言葉も印象的でした。 『心が静かで、100%リラックスしていること。それが100%集中するために必要』 サマディは心が騒ぎ立てられていない状態。ヨーガはそれを達成させる。心が静かでいるのは、深く眠っている時か、サマディの時。 休息が深ければ深いほど活動できる。ヨーガを行ったり、深く祈ることで、心を静かに、休息することができる。 心が静かで、平和でいるために、休息がいかに大切か。シンプルな言葉で簡潔にお話しくださり、深く届きました。ずっと睡眠が足りていないという自覚を持ちながら、改善できずにいました。今回ほど、その大切さを思ったことはありませんでした。スワミジの言葉の力と、またそれを直接伺ったということが大きかったかもしれません。ごく基本的なことですが、まずはそこに戻って、深く眠れるよう工夫しよう、そこから始めようと思いました」






スワミ・パドマナバナンダジを囲んで シバナンダ・アシュラム、ヨーガ・ホールのガンジス河を望むテラスにて
スワミ・パドマナバナンダジを囲んで ガンジス河を望むテラスにて





その4へ続く





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