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#友永ヨーガのインドツアー その2(2023年9月催行・第17回目)


アシュラム1目日-2日目(9月17日(日)-18日(月))

17日、デリーから順調にやってきて、アシュラムに着きました。大陸旅遊の谷奥さんと夜なべで前もってフォームを送っておいたのですが、そのチェックと、受付のスワミジによる再入力でずいぶん時間がかかりました。ガンジス河まで降りられると思っていましたが時間切れ。そのまま夕食となりました。

翌日18日は朝5時の瞑想に始まって、6時アーサナ、7時すぎの朝ごはん。


11時にスワミ・ヨーガスワルパナンダジにお話しを伺いました。

「人生で起こることは決まっているのでしょうか?」など、質問にお答え頂きました。


14時に、「14期組」と「シドニー組」がスワミ・カーティケヤンジにお話しを伺いました。

「ヨーガは宗教なのか?」

「神様に感情はあるか? 寂しさを感じるとか」などが質問に出ました。


17:30からは、グルデブ・クティールでのキールタンの会に加えていただき、夕べのアラティ―にも参加しました。


そこには、大きな虹がかかっていました。


参加者の皆さんの感想を、許可を頂いてこちらに掲載いたします。






シバナンダ・アシュラムでの朝の瞑想、友永ヨーガのインドツアー
朝の瞑想 





「サマディホールのスワミシバナンダの手を組んでウインクしている写真がチャーミングできゅんとしました!写真に撮りたかった! もっとマントラを練習すべきだった!と後悔しました、が、後半は耳コピ大会になっていきそれなりに楽しく歌えました。 アラティーでもらったサモサがピリ辛で美味しかったです。


お話しの内容メモ:神様に感情はあるか?>孤独(感情)は対象があるから感じる、(神には)内も外もない、だから、神様はさみしくない。熟睡すると起きたら幸せ感じるが覚えてない。熟睡に近い。瞑想は(その)幸せを覚えている。これが熟睡との違い。瞑想を広げていくと、全体になる。 瞑想は揺れてよい、プラーナが揺れて足りない所にいくので、そういう所がなくなると揺れなくなる」





「受付で時間が予想以上にかかったことには、正直待ち疲れしたものの、 その間に参加者の皆さんとじっくり会話が持て親近感が沸いたと同時に、結果、待ち時間とて良い時間だったと感じました。 けんじ先生の忍耐強さにも、皆さん何一つ文句も出ないことも、本当に素晴らしいグループと感じたことと、ご一緒できる安心感に包まれていました。


スワミジのお話の時間は、初日は心で聞こうと思い、メモをとらず ヨーガスワルパナンダジの言葉と けんじ先生の通訳に集中していたので内容をはっきり覚えていないのですが、 涙が止まらなかったことを記憶しています。 悲しいとか嬉しいという感情を超えた 涙でした。 ただこの場で、スワミジの言葉に耳を傾けて静かに座っていられることが、 戻ってきたなぁという不思議な想いと共にあって幸せでした」








「アシュラムが初めてだったので、何もかもが新鮮でした。


まず、5時の瞑想ですが、いきなりジャヤガネーシャで始まって(だったと思います)、その声の素晴らしさに驚きました。それと同時に、キールタンを真剣にさらっておかなかったことを深く後悔しました。 キールタンが終わると、いきなり沈黙になったので、次の人が出てきて歌うのかと思って待っていたら、いつまで経っても次の人は出てこず、瞑想の時間になったのだということに気づきました。


アーサナを行ったホールがとても景観がよく、癒されました。院長先生のクラスは、いつも土曜日の朝のクラスをオンラインで受講しているのですが、ライブで受講するのが初めてであったため、感慨深かったです。


朝ごはんが簡素で驚きました。それに対して昼ごはんは豪華でそれもまた驚きました。


11時のスワミのお話では、まずスワミが、お持ちしたお土産を開封したのに目を奪われて、何事が始まるのかと思ったら、それはみんなにくださるプラサードだったので、安心しました。


夕方のキールタンは楽器付きで楽しいと言ったら!それに続くアラーティの神聖さ、そしていただいたプラサードのおいしさなど、驚きの連続の一日でした」





「スワミ・ヨーガスワルパナンダジのお話はいつも分かりやすく、すぐに実生活に役立つ内容が多いのですが、今回も『ヨーガ』というものについて明快なお答えをくださったように思います。


『ヨーガとは科学である』 自然との調和を図ることがヨーガであり、人類全てに必要なものだとおっしゃっていました。 また、『ヨーガ・スートラ』の八支則についてもわかりやすくご説明くださいました。 その中で心に残ったのが『ダーラナ』から続くいわゆる『サンヤマ』は『自分の心の目撃者となること』というお言葉でした。 自分の思考・心を超えたところに向かうのが『サマーディ』であるということがよく理解できました。


そして私の中でいちばん響いたのが… 『呼吸は私たちの人生そのもの』 というお言葉。まさにそうだ!と感動したお言葉でした」





ガンジス河にかかる虹 グルデブ・クティールから 第17回インド修行の旅、友永ヨーガのインドツアー
ガンジス河にかかる虹 グルデブ・クティールから(Kさんよりお借りました!)



「11時 スワミ・ヨーガスワルパナンダジのお話


聞いている間に、涙が出てきました。


その前夜(アシュラムに着いた日の夜)、初めてガンガーの水際まで行ってみて、なぜ今私はここにいるのだろうと不思議な気分になっていました。 自分がインドのガンジス川のほとりにたたずんでいるなんて、ちょっと前の自分には想像もつかなかったです。 でも、スワミジのお話を聞きながら 『私は来るべくしてここに来た、そう決まっていた』 と強く感じ、なぜか感情が高ぶり涙がぽろぽろ出てきました。


印象に残ったお言葉: 『亡くなるときにマントラを唱えられればカルマを次の世につなげなくてすむ』 、『母が子を見守るのとグルが弟子を見守るのは同じ。グルデブの前に座れば見守られている』、 『Be Good Do Good. これを私たちは本当に学ばなくてはいけない』


14時 スワミ・カーティケヤンジのお話


ヨーガは宗教か?との問いに 『ヨーガはような宗教にも属しておらず、どんな宗教=信仰を持っていてもヨーガを勉強して、完成した人間になることができる』 とのお答え。


他に印象に残ったお言葉:


『神様は私たちの中に機能として働いている』


『人間は熟睡しているときが幸せ、でも寝ているときはわからないから起床時に ≪幸せだった≫ と感じる。 しかし、本当に深い瞑想の中では(起きたまま)それを意識できる』


スワミジご自身の部屋で、話を聞かせていただきました。 思ったより狭く、そして物も少なくて、シンプルに暮らしていらっしゃること、 私たち聞き手の人数が多かったので、ベッドも座って良いと使わせてくださったスワミジの寛容さがとても印象深かったです」





「最初の夕ご飯でマハーマントラをお坊さんとコール&レスポンス。音が良く響く食堂。神様と一緒にお食事するんだなぁと思いました。サットサンガでもキールタンを歌いました。ここでも神様の名前をたくさん歌います。乾史先生と練習してきて良かったと思います。そして、もっと練習したいと思います。歌うことは楽しいです。声がだんだんと良く出てきます。


月曜日の朝、夜が明けるのを感じながらキールタン、そして瞑想。響きの中での瞑想の心地よさ。波動となり静けさとなります。とても新鮮な感覚。響きが静かに、夜の深い眠りに入るまで、私の中にありました。


スワミ・ヨーガ・スワルパナンダジのお話を聞いて思ったこと。


私は歳を重ねるうちに、生きやすくなってきました。痛みを心に刻まない。心を離れたところからみて痛みから離れる。ヨーガの実践、呼吸法とアーサナは私を良い方向へと導いています。


スワミ・シバナンダジはマレーシアでお医者様として患者を診て、ヨーガを治療に活かしました。心も見るお医者様。良い方向へと導く方です。 人生は決められていて、縄でつながれているとしても、ヨーガを学ぶことで縄を焼くことができるようになる。縛られなくなる。また、人生は決められているけれど、神に自分を預けると様々な出来事から自由でいられる。執着を手放すことだなぁと感じました」





「受付で時間が予想以上にかかったことには、正直待ち疲れしたものの、 その間に参加者の皆さんとじっくり会話が持て親近感が沸いたと同時に、結果、待ち時間とて良い時間だったと感じました。 けんじ先生の忍耐強さにも、皆さん何一つ文句も出ないことも、本当に素晴らしいグループと感じたことと、ご一緒できる安心感に包まれていました。


スワミジのお話の時間は、初日は心で聞こうと思い、メモをとらず スワミ・ヨーガスワルパナンダジの言葉と けんじ先生の通訳に集中していたので内容をはっきり覚えていないのですが、 涙が止まらなかったことを記憶しています。 悲しいとか嬉しいという感情を超えた 涙でした。 ただこの場で、スワミジの言葉に耳を傾けて静かに座っていられることが、 戻ってきたなぁという不思議な想いと共にあって幸せでした」




その3へ続く


その1はこちら



今回ご参加の オペラさんよる旅のブログはこちらです



今回ご参加の指導塾を修了された北嶋麻紀先生の記事はこちらです 







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