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院長コラム

院長コラム

「わたし」の取り扱い説明書 その9

「座り方は、安定した、快適なものでなければならない」

話/院長・友永淳子

文/副院長・友永乾史

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先日のこと。

この六月以降、当学院でのレッスンは、通常の対面のレッスンに加えて、コロナ禍をきっかけに始めたオンラインの配信も同時に行っている。

教室の講師の台の前にカメラが置いてある。事務のスタッフが受付前のコンピュータで、オンライン上の受付を行う。受付を終えると、教室でスタンバイをしている講師に、「それではお願いします」と言ってからレッスンが始まるようになっている。

 金曜の夜の担当講師、上田玲子が台に上がって、足を組んで座る。受付が終わり、画面を見ると画面に動くものがまったくない。それを見て、コンピュータがフリーズして(動かなくなって)しまったと思った受付は、慌てて、コンピュータを再び立ち上げるために教室に入っていった。でも、実はコンピュータは壊れておらず、上田はただ微動だにせず座っていただけだった。

 私たちは他の人の心をその人の動きや表情から伺う。私たちは他の人が何をどう感じどういう状況にあるか、その人の姿勢や表情振る舞いからしかわからない。

 電車の車内。混雑する交差点。ホテルのロビー。人を見ていて飽きないのは、それが自分の心を動かしつつ、そこにエゴが入り込まないので、その人の思いを苦悩なく追体験できるからだと思う。

 

ああ、あの人は疲れているな。席が見つかったな。お疲れ様でした。

ああ、何かいいことがあったんだな。嬉しそう。こっちもうれしくなるな。

 

 疲れているときは、どうしても骨盤が緩んでしまう。背が丸くなり、きちんと息を吸えなくなる。喜びにあふれる人は、身体が軽い。どうしたって、周囲の人にくらべて動きが軽やかだ。

心と身体は分かち難い。

 人は、人がいると、どうしても互いに影響しあう。だから、人前で微動だにせず座れる人は、まず街の中にはいない。もちろん、テレビやコンピュータの画面にも出てこない。

 だからスタッフはスクリーンに映る上田を見て、こんなに動かない人はいないはずと、コンピュータのほうが故障したのだと思った。

 試してほしいのだが、このように座るには、十分に肩や腕の力が抜けてないといけない。そして、丹田と呼ばれる、へその奥深くで重心がとれていないといけない。

 ヨーガの教科書、ヨーガスートラによれば、そのように座れるようになるには、「何かを得よう」という努力を捨てて、無限の広がりにすべてを預けないといけないと言われる。

 そしていったんそのように座ることできたら、暑さや寒さ、善と悪、快楽と苦悩といった、対極のものに妨げられることから解放されるとも言われる。

 そうした坐り方をアーサナといい、佐保田先生は坐法と訳された。いままでに説明してきた、ヤマ(禁戒)、ニヤマ(勧戒)の次、八支則の三番目に出てくる。

 「坐り方は、安定した、快適なものでなければならない。」(Ⅱ-46)

 時代が下るにつれて、いろいろなアーサナが数えられる。今もさまざまなバリエーションが生まれてくるが、そのすべてはこの一点のためと言ってよい。

 そのように座れると、感覚があちこちに引っ張られなくなる。思いもすっと落ち着いてくる。呼吸が深く静かになり、意識の流れが一つの方向へすんなり流れていくようになる。すなわち、プラーナヤーマ(調息)、プラティヤハラ(制感)、ダーラナ(凝念)、ディヤーナ(瞑想)そして、サマディ(対象との一体化)がやってくる。

スワミ・シバナンダは、一つの座り方で三時間は座れるようになりなさいとおっしゃった。

そのような肉体を手に入れたとき、どんな心持ちでいられるだろうか。諸賢はどうか想像して欲しい。

今季のレッスン

10月からのプログラム

院長のお話会

  • 11月23日(月・勤労感謝の日)15:00 -16:00

  • 1月11日(月・成人の日)15:00 -16:00

  • 3月20日(土・春分の日)16:30 -17:30

参加費無料。オンラインでの開催です。yogatomo.online よりお申込みください。

ヨーガニドラ ワークショップ 須田 育

  • 0月24日 (土)21:00-22:00

  • 12月12日(土)16:30-17:30

  • 2月20日(土)20:00-21:00

  • 参加費1500円。オンラインでの開催です。yogatomo.online よりお申込みください。

編集後記

編集後記

 今号より、プラーナはウェブ版のみとさせていただきます。紙のものを楽しみにしてくさっていた皆様には、心よりお詫びを申し上げます。

 編集にあたって、前号を見直すと、半年前を非常に懐かしく感じます。小さなウィルスが、本当に大きな変化を引き起こしたことが分かります。

 もちろん、ウィルスだけではこんなに大きな影響を与えることはできませんでした。その媒介になったのは、わたしたち人間です。宿主となった人間が動き、呼吸して、会って食べて、話すことがウィルスの繁栄をもたらしました。

 それでは、そうした動きと交わりを止めましょうと、世界中でロックダウンをしたら、空や海が綺麗になって、ベネチアでイルカが遊んだり、パンジャブ州からヒマラヤが眺められました。東京でも見たことのない青が空に広がっていました。

 人間の大きさは、地球にとって、ちょうど人間にとってのウィルスの大きさと聞きます。

こうしたことをどう捉えるのか、わたくしたちなりに行動にうちに答えを出していきたいと思います。

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