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春の不調を解消するゆるヨーガ

春の不調を解消するゆるヨーガ

イラスト:いいあい

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​ヨーガな人
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​ヨーガな人

山口智佐さん

荻窪大通り商店街 そめなや店主

「これ、どうにかなりませんかね?」


「明治に入って、天然染料はあっという間に合成染料に切り替わりました。自然の色彩が失われていくのを島崎藤村が憂い、文学仲間であった山崎斌に復興を薦めたのです。」

その3代目当主から染色を学び、奥深さに魅せられて、「そめなや」を開店した山口智佐さん。染色ができる大きなキッチンのような工房と、やさしく、鮮やかな色合いの染織品が並ぶ奥、薬膳酒とハーブティーを頂けるカウンターでお待ち下さいました。

でも「染める」お店?今染めることが日常にある人は少ないのでは?天然染料?藍染は知っていても、他はほとんど知りません。どうして、どうやって、お店をオープンして、続けていらっしゃるのか。たくさんの疑問を胸にお店に伺い「板藍根」のお茶を頂きながらお話を聞かせて頂きました。

「今、染織材料を生産する人たちも少なくなり、染織業の方たちは、『自分の代で終わり』と言う人も。」「商売として成り立つか分からないけど、『これ、どうにかなりませんかね?』という気持ちでオープンしました」と智佐さんは続けます。


「どんどんどんどん忘れ去られて、どんどんどんどん作っていくもの」


小さいころから絵が得意で、図工の時間が大好きだったという智佐さん。小学校で大好きになった図工の先生に出会い、「褒められてその気になって」高校を卒業されてすぐに、グラフィックデザインの世界に飛び込みました。

もし大学に行っていたら就職氷河期だったので、「ラッキーだった」と笑う智佐さん。高校卒業してすぐ「バイトで雇ってください」と突撃したところ、当時はトラフィックと呼ばれていた、原稿の配達係として採用されました。

半年後、「デザイナーになりたいんです」と、「ぬけぬけと」お願いすると、「やってみる?」ということで、デザインの勉強ができることに。次第に仕事を任されるようになりました。

楽しかったという広告の仕事も、長く続けると大変なこともあるし、何より、作ったものの寿命が短いのに疲れを覚えたという智佐さん。「広告ってどんなに長くても寿命が2週間くらいなんですよ。どんどんどんどん忘れ去られて、どんどんどんどん作っていくものなので」

そこで、「長く残るモノを作りたくなって」、学び直しを考えるように。


「染織を選んだのは、本当にたまたま」


「工芸品に近いものをやってみたいなというのが、選ぶ基準でした。作るのも時間がかかって、その後長く残るものを作りたい」そう思ったのでした。

いくつかの大学の広告を担当されていた智佐さん。その中でも、京都芸術大学の丁寧なスクーリングに魅かれていたそうです。

その工芸科には、日本画、洋画、写真、陶芸、染織とありましたが、長らく平面上のグラフィックを作ってきたので、「ビジュアルは『もういいや』」というのがあり」、陶芸か染織かと考えてみて、「陶芸は怖そうなおじさんが多いかなと思って染織に決めました(笑)」

個性に富んだ面白い先生ばかりでしたが、草木染を継承されている山崎先生について学びたいと、群馬県の高崎の工房まで通うようになりました。


「昔の色を再現するというのはどういうことか」


江戸時代までは、布を染めるのは、草木以外にありませんでした。

庶民に人気だったのは藍。木綿にもきれいに染まったからです。絹でないときれいに発色しないその他の染料の色をまとえるのは、限られた身分の人たちでした。

天皇家、将軍家、そして大きな大名家にも、お抱えの染め師がいて、それぞれの身分が、それぞれの機会に着る、それぞれの着物が染められていました。

「色」で有名なのは、飛鳥時代に定められた冠位十二階。紫を筆頭に、青、赤、黄、白、黒の六色。これに濃淡を加えて十二階としました。この場合は冠ですが、着るものの色が身分だったのです。

お店では、紫という植物で、紫に染められたショールを見せて頂きましたが、確かにその雅なこと。最上の徳があると称えられた人しかかぶることができなかったことが、なんとなくですが偲ばれます。

街に色が溢れる現代からすれば、あまりピンとこないかも分かりませんが、ほとんどの人が生地そのものの色の服をまとっていたところに、紫色や茜色の服を着た人が通るとなったら、どんな感情が沸き起こったでしょうか。

あるいは、天然の色しかなかった時代から、現代を見たら、どんな思いがするでしょうか。

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さまざまな色に染められた靴下

「中国にも、ヨーロッパにも、ほぼ残っていない」


江戸時代、「紺屋」というのは、藍を用いて、藍色、紺色に生地を染める店。そのほかにも、さまざまな色、それぞれに専業の染屋があったそうです。その上、染めるときに使う灰は灰屋、染料は、染料屋が扱っていました。

実は日本は、こうした草木染の技術が世界においても稀に残っている地域だとのこと。

そもそも、こうした染織技術は大陸から渡ってきたものと考えられますが、中国では、そのほとんどが失われていまいました。ヨーロッパでも、一部の地域に残っているのみ。なので現在は、中国やフランスからも、染織を学びに来る人が多いのだそう。

それでも、染織家も、染料農家も、染料や染織機材の販売業者も、辞めていく人が多く、日本の染織は大変な状況。智佐さんも、研究のため、資料としては残ったとしても、産業として復活させるのは難しいと考えています。

でも、そうして消えゆくのを、指をくわえたまま見ていることができなかったのが智佐さん。「ひとまず、知らしめることができたら」との思いでお店を開きました。

「今は無理をしてよい時期」


このお店をオープンしたのは、最初の2年は東京都の助成事業に採択され、金銭的な補助があるから。だから「今は無理をしてもよい」と考えています。

以前は自宅で染物のワークショップを行っていましたが、やはり自宅では限界があるということで、自由が丘にある「創の実」という東京都のショップで半年間お店を開き、その後、荻窪に今のお店をオープンしました。

路面で、たくさんの人の目に留まるように、天然の色を飾りたかったと智佐さん。

近頃では、「子供が学校で草木染で作品を作るのをみて、自分もやってみたくなった」とか、「自宅の金木犀を切らなければならなくなって、母にその色を残したくて」、「ジーンズを自分好みに染めたくて」と、さまざまな人が来てくれるようになりました。


「土に還る色」


「ワークショップの参加者さんは、『こんなにきれいな色がでるんだ!』って、皆さん驚かれます」そして、家で使ってみて、「使い心地がいい!」と喜ばれています。

智佐さんは、草木染の一番いいところは、「土に還ること」と言います。

合成の染料のように色は長続きしないけど、褪せたら染め直して、また染め直してとしているうちに、味わい深い色合いになります。褪せたものは、そのまま分解されて、自然界を循環します。もちろん身体に取り込まれても無害なものばかり。

今は、どんな色も自由に着ることができる時代となりました。さらには、それをイメージに残して、加工して、大勢の人に見てもらえるようにもなっています。そうして、かなりのスピードで新しいものが古くなっていきます。

だからこそ、この時代、先人が工夫したように、大地が育んだ植物の、その深いところから色を取り出して、生地に移し、それをまとうことで、今までとは全く違った景色を見ることができそうな気がします。そして、それほど贅沢でおしゃれなことはなさそうです。
 

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そめなや - 天然染料の染め屋

住所:東京都杉並区上荻1-24-22 紀伊國屋ビル1F

電話:080-8414-1256

簡単 春のデトックススープ

胃腸の働きが落ちて、身体が重くなる春
消化の力を高めるクミンと、春菊のデトックス効果で体調を整えて

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  1. 春菊を洗って、水気をきる。3センチ程度に切る。

  2. トマトを一口大に切る。

  3. オリーブオイルを熱して、クミンシードから香りを立たせる。

  4. しょうがを加えて、水気が飛んで香りが出たら、トマトを塩少々で4-5分炒める。

  5. 水気が飛んでトマトが小さくなったら、春菊を加えて2-3分炒める。

  6. 水(あるいは出汁)を加えて、ひと煮立ちさせる。塩で味を調える。

材料(2人分)

春菊2-3株、トマト中一個(小2個)、オリーブオイル(大さじ1)、クミンシード、生姜(すりおろしかみじん切り)、塩少々
 

春のデトックススープ
春のギーター

春のギーター

text by Kenji T.

執着を捨て、成功と不成功を平等のもの見て、諸々の行為をせよ。
バガヴァッド・ギータ― 第2章-14

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日本の春は、気温差が大きいのが特長です。温かくなったと喜び、寒くなったと嘆いていると心身のバランスを崩してしまいます。こうした季節もたらしてきた、大いなる自然。その運行を眺めるつもりでいれば、感情の起伏も穏やかになってきます。ヨーガは、そうした大いなる自然と調和を図る、古からのさまざまなメソッドのまとまりです。バガヴァッド・ギーターは、その中でも、カルマ・ヨーガ、ギャーナ・ヨーガ、バクティ・ヨーガというメソッドが物語形式で説かれています。


ギータ―は、親戚同士が敵味方に入り混じった戦場を前に、戦意を喪失した一方の総大将アルジュナに、クリシュナ神が御者に扮して戦うよう鼓舞をするシーンから始まります。「不可避なことから逃れることはできない」のだから「戦いに専心せよ」と。
「不可避なこと」とは、自分では変えられないこと。自分で変えられないことと、変えられることの区別がつかないと、苦しみが生まれます。その区別をつけることは、「執着を捨て」ること。変えられる部分とは、「自己の義務」。ここに集中する。これがカルマ・ヨーガで、何よりも尊い修行と説かれます。

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