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ゴームク巡礼記 その4 通行止めとか入山禁止とか

  • 20 時間前
  • 読了時間: 6分
リシケシの超ローカル三叉路でバスを4時間待ったわたしたち、ウッタルカシを経てガンゴートリまで、バスに揺られ、通行止め解除を待ち、地元の人のやさしさに触れながらのぼっていきます


その3から続く



その昔、プレートテクトニクスという言葉を地理で学ばなかったでしょうか?



・その昔、地球上の陸地はパンゲアという一つの大陸だけが大海に浮いていた


・アフリカ、北米、南米・・などの大陸が地下のマグマの流れに乗って、分割された


各論あるようですが、おおまかにはこんな感じです。



地図で南アメリカの東岸と、アフリカの西岸を眺めていて、「これは二つが切り裂かれたに違いない」という直感からの学説です。



このプレートテクトニクス理論で、一番好きな部分は、


・アジア(ユーラシア)大陸に、インド亜大陸がぶつかって、もりもり、ヒマラヤ大陸を押し上げた


という部分です。



インドに降り立つ度、インド洋からぐっと押し上げられている、そのすごいパワーを感じるのです。


(もちろん、日本もすごいプレートの力が働いているのですが!四つのプレートがせめぎあう世界でもまれな場所だそうです)



そう、そのぐっと押し上げられた最初のひだのあたりでしょうか。


リシケシの超ローカル、名付けて「バドラカーリー寺院三叉路」から、ようやくバスに乗り込んだわたしたちでした。


バスの車窓からは亜大陸がぐんぐんぶつかって、ミルフィーユのような地層が垂直近くに持ち上がっています。





ちなみに、亜大陸がユーラシア大陸にぶつかったのは、ほんの5000万年前。


地球の歴史46億年からすれば、そんなに昔ではありません。


もう恐竜は姿を消し、哺乳類たちが陸地を闊歩していたころです。



目を見張るのは、こうした山々の中腹を、こちらの人たちがうまく活用していること。


段々畑には、豆や野菜、果物がなり、車が通れる道も伸びています。


このあたりは出稼ぎに出る人が多いと聞きますが、家のたたずまいを見ても、ぜんぜん貧しい感じは受けませんでした。



日が暮れるころ、ウッタルカシのホテルに着きました。


こちらで標高1000メートル。


リシケシが350メートルくらいですから、ほんの650メートルをたっぷり半日かけて登ってきました。


ガンゴートリまで向かう宿場町のモーテル・・という風情ですが、清潔だし、お湯もしっかり出ました。



翌朝、食堂の隣を借りて、椅子ヨーガ。


昨日、結婚50周年か、誰かの50歳の誕生日か、50という風船で描かれた飾りが残る宴会場を貸してくれました。


地元の親族の集まりのようで、お酒も出ない会ですが、子供たちが集まって、大人も一緒にゲームして、みんなで楽しそうな集まりでした。


インドに来ると、家族の良さを感じます。



ウッタルカシを超えていくと、道はどんどん、狭く、カーブはきつく、ガンジスの流れは狭く、激しくなっていきます。


通り過ぎていく町はじょじょに小さく、町と町の間隔が長く、道路際の植物も涼しい気候のものに変わってきます。


みっちり下草が生えていたのが、短い草の生えた斜面に変わり、小学校の校庭に植わっていたヒマラヤ杉や、松がそびえ、野ばらが咲いています


羊が草をはみ、ヤクも見ました。


ハイジとペーターがひょっこり顔を出しそうな景色です。



道はどんどん狭くなり、いよいよすれ違いが厳しくなってきます。


警官がしっかり、トランシーバーで交通整理をして、時間ごとに一方通行にしています。


すなわち、バスが停車している時間が増えてきます。



途中のチャイ屋さんで 後ろはバスの運転手さんと助手、アショークさんとサティーシュさん
途中のチャイ屋さんで 後ろはバスの運転手さんと助手、アショークさんとサティーシュさん


時にゆずりあい、時にけんか腰になりながら、対向車と狭い道をすれ違っていたところ、とあるバスの運転手が、わたしたちのバスの運転手と窓越しに話をしています。


どうやら、上で土砂崩れがあったようで、待っていたほうがよいというものでした。


少し広い、見通しのよいところで20分ほどでしょうか、待っていましたが、まだまだかかりそう。


それならと、昼ご飯がまだでしたので、少しもどったところにある町で昼食を済ませることに。



宿屋と食堂が一緒になった、少しわたしたち東アジア人に近い顔をしたコックのいる店でした。


ここは2013年に大きな土砂崩れがあったところで、まだ行われている道路の新設工事のすぐ脇の町。


町の人もめずらしそうにわたしたちのことを眺めます。


特に、女性が、女性の着るもの、持っているものをよく見ます。




外に建てられたお手洗いを使わせてもらおうとすると、椅子に座った老人が、宿の中のお手洗いを使うよう、勧めてくれました。


そう、部屋のほうが洋式できれいなので、勧めてくれたのです。



食事を終え、その老人のとなりの椅子で少しのんびりしました。


もうずいぶん気温が下がって、薄いダウンを羽織るほど。


パラパラと雨も降りだしました。



今日はガンゴートリからゴームクへの出発は許可が下りなかったということを、バスの中で聞きました。


リシケシからのガイド、アロックさんが仲間から仕入れた情報です。


上では雪が降っているということで、安全上、国立公園事務所がトレッキングルートの入り口を閉鎖したのでした。


確かに、こちらの食堂もよく冷えていました。



「さて、明日はどうなるかな?」


「まず、土砂崩れは復旧されるののか?」


考えないことはありませんでしたが、考えても仕方のないことというのはよく分かっています。



ここまでは、素晴らしい天候に恵まれています。


デリーも小雨、リシケシも小雨。


5月の日本からの移動でしたが、いきなり40度以上の洗礼を受けずに済みました。


屋外の交差点で4時間バスを待ったのに、日射による疲れはありませんでした。


それ以前に、4000メートルの高地まで、キャンプをしながら2泊3日歩き続けます・・という旅行に、養成コース生でもなく会員でもない方が半分も集まって催行できています。



ただただ、登っていこう。



たくさんの石くれに埋まった空き地を眺めながら、そんなことを思っていると、どこからどう知らせが入ったのかは分かりませんが、道路が復旧したよう。


ぴょんぴょん水たまりを飛び越えて、再びバスに乗り込みました。



ガンゴートリの町は、本当に道の突き当りにありました。


渋滞しないように、ずいぶん前から歩かされました。


たくさんの露店が並んでいて、焼きトウモロコシがおいしそうでした。



道はさらに狭く、アスファルトから石畳になりました。


露店がなくなり、常設の店舗が両側に立つ門前町の風情になりました。


しばらく行って左に上ったところが、わたしたちの宿、マンダキニ ゲストハウス。


こちらの宿のご主人も、チベットにルーツがありそうな東アジア顔。


たくましい、日に焼けた山の男でした。



部屋はシンプルだけど、出窓があってバルコニーからは白く冠雪した山々が見渡せます。


なにより、眼下にはごーっと音をたてて流れ落ちるガンジス河。


いよいよ、いよいよやってきたことが実感できました。


ここで標高が3000メートル。


そう、明日は、ここから徒歩でガンジス河畔を登っていくのです。






<その5へ続く>

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