top of page

友永淳子 三回忌ご挨拶 

11 分前
読了時間: 3分
2026年9月26日  院長 友永乾史


ご参加くださった皆さま、お花をよせくださった皆さま、お気持ちをお寄せ下さった皆さま、誠にどうもありがとうございます。


わたくしもよく知らなかったのですが、3回忌とは、なくなった年が一回忌ですので、一年経って二回忌、そして今年、二年が経って二回忌ということになります。




淳子前院長が二年もいないというのは、わたくしには信じがたいことです。


でも、不思議なことに、「まだそれしか経っていないのか」という感想も持っています。


時間とか、空間とか関係のないところにいて、ずっと支えてくれている。


そんな感覚を強くしています。



今日は、「淳子先生のまなざし」ということで、幾人かの方からエピソードを頂戴する予定でいます。


わたくしが、覚えているまなざしというのは、友永淳子がヨーガの勉強に邁進していたころの、うっとりとしたまなざしです。



スワミ・クリシュナナンダ、スワミ・チダナンダ。


多くの人から「悟った人」とあがめられ、世界中から大勢の求道者が押し寄せてきていた頃、ラッキーにも、お二人から学ぶことができた友永淳子は、ヨーガの勉強に邁進しました。



左から小山芙美子先生ご主人の博さん、淳子前院長、スワミ・ヨーガスワルパナンダ、長浜浩子さん、大島道子さん
左から小山芙美子先生ご主人の博さん、淳子前院長、スワミ・ヨーガスワルパナンダ、長浜浩子さん、大島道子さん



その頃よく、「乾史」と呼びかけられました。


しばらくして、「過去、現在、未来。あるいは、創造、維持、破壊、そうしたものすべてを越えた存在を、呼びようがないからオームと呼ぶのよ」


子供ながらに、なんだかわかった気になって、二人ですこしポカーンとしていたのだと記憶しています。


また、「乾史」と呼びかけられて、


「自分の周囲の世界にあるものは観察できる。自分の身体も、心も、頭脳が働くさまも観察できる。観察できるものがあるというということは、観察され得ない、ただ観察する主体そのものがなければならないのよ」。


「そんな、もう観察しえない、ただ観察している主体としてあるものを、オームと呼ぶの」


そんな話をうっとりとした眼で話していました。



当時7,8歳のわたしもよくまあ、こんなことをよく覚えていたと思いますが、こういうことを話そうという友永淳子も友永淳子です。


この時、本当にうっとりとしていて、今考えると至福の状態にいたのだろうと思います。


そう、ただただ、観察している存在。観察され得ない、変化しない、本来の自分。


そういう状態にあったのだと思います。



まだ荻窪駅南口に教室があった頃 妹の麻紀子と 学院のスタッフの皆さんにお世話になりました
まだ荻窪駅南口に教室があった頃 妹の麻紀子と 学院のスタッフの皆さんにお世話になりました


学院で、いろいろな相談を受けるようになったのも、このころだと思います。


きっと、すべてを受け入れてくれる、そんなまなざしだったからこそ、つい、なんでも話したいと思われたのだと思います。


つまり、こうなったらいいなという考えがない、エゴがないまなざしということだと思います。



そうした視点、視座を可能にしてくれたのがヨーガだったのでしょう。



わたしたちは、有難くも、こうした「オーセンティック」な、グルから弟子へと受け継がれてきたヨーガを学ぶことができます。


これは、非常に貴重な、稀な機会です。


だからこそ、わたしたちの修行が守られますよう、グルにお祈りをして、グルを讃えて参りましょう。


今後とも、友永ヨーガ学院をどうぞよろしくお願いいたします。

bottom of page