マンゴー通信 – ヨーガやインド、心と身体の健康などに関すること。 – 友永ヨーガ学院
18.11.18
136号
友永乾史
(友永ヨーガ学院理事、マンゴー通信編集長)


What's Mango Express?~マンゴー通信のご紹介~

 ただひたすらマンゴーを食べるときのようにヨーガを味わって欲しい、インド原産のマンゴーのように多くの人に愛されたい、そんな気持ちで書いています。ヨーガやインド、心と身体の健康などに関することをテーマにほぼ毎週アップします。

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第136号 日本のヨーガ(8)


私たちが身につけるヨーガは、一人ひとり、自分の形でよいのだと思います。

 

「あるヨーギンたちは、神々の祭祀のみを行う。-中略- 他の人々は、すべて感官の働きを、知識により燃え上らされた、自己制御のヨーガという火の中に焼べる。他の修行者たちは、強固な信念をもって、財物を祭祀とし、苦行を祭祀とし、ヨーガを祭祀とし、学習と知識とを祭祀とする。他の人々は、プラーナ気とアパーナ気の道を抑制し、調気法に専念して、プラーナをアパーナの中に焼べる。他の人々は、食制限して、気息を気息の中に焼べる」(バガヴァッド・ギーター 4-25~29上村勝彦訳)

 

アーサナの形に非常にこだわるスクールもあると聞きます。それも最初のステップとしては必要かもしれません。もちろん無理のない範囲で。でも、もっと大切なのは「アーサナから何を得るのか」ということだと思います。足をつく角度、意識する部位などについてのメソッドは必要だし、私たちも大切にしています。でも、最終的には、「気づき」に勝るメリットはありません。日常にない形に自分をはめるというのは、何か新しい発見を得るためです。

 

アーサナが苦手でしたら、呼吸法(調気法、プラーナヤーマ)から入るとよいと思います。あるいは、マントラを覚えて、唱えることでもよいと思います。マントラとか、呼吸とか、アーサナだとかを学ぶのが苦手でしたら、しっかりお仕事をして、稼いだものを寄付して捧げることも立派なヨーガだと、スワミ・シバナンダはおっしゃいます。

 

型をまねて、自分のものにして、違う形で表現する。仕事でも、ヨーガでも同じ。私たちの教室でもいえることですが、現代の日本のヨーガ教室では、あるいは、職場では、型をまねることは熱心でも、自分の形にして伝えて行くことが、まだこれからのところが多いように見受けます。

 

ヨーガでも、仕事でも、行っていくうちに、どんどん自由に、楽しくなっていくのが本来なのだと思います。落語家でも、歌舞伎俳優でも、将棋の棋士でも、職人でも、ヨーガの伝え手でも、そのように成長していくのを尊ぶ文化を、私たちは持っていたのではないでしょうか。そして、それは組織の中でも可能であったと思います。最終的には、あらゆる行為を捧げものとするという境地でしょう。

 

型を繰り返すだけでは、身体に智慧が宿るまでいきません。繰り返し行って、自然に型どおり動けるようになって、余裕がでてきたとき、さらに自分なりにより自由な楽しい方向へ、自分の型を作る。それは周囲の人を楽しませて、その芸の、仕事の、ヨーガの素晴らしさを伝える方向のものです。サーフィンやスケートボードでいう「スタイル」もこれを指します。その人の「薫り」ともいえると思います。繰り返しになりますが、日本のデザインが世界に受け入れられたのは、ここがあったからだと思います。模倣を超えることができたからでしょう。

 

それが型だけを尊ぶようになってしまうと、行き先は袋小路です。世に言ういわゆる「おじさん」たちが歩んできた道です。組織の中に継承された型だけを頼りに生きてきてしまったので、組織の外に出て何にも対応できない状態に陥ります。これが数人であれば哀れの一言で済みますが、現代の日本では、定年退職した男性がごっそり、この状態に陥っているように見えます。

 

気をつけないといけないのは、こうした「型」は昔よりもあらゆるところにはびこっていることです。若い人も、女性も注意をしないといけません。管理する側からすると、型を用いるのは非常に楽なので、学校でも職場でも、言葉や雰囲気のうちに型にはまることをやたらと求められます。

 

こうした型から自由になるには、一度、習い性になった自分の型から抜けだす必要があります。少しでもピンときたら、自分のはまった型を眺めること、つまり瞑想を、ヨーガをしましょう。そして、本当に自分の好きなこと、内から湧いてくるやりたいことを始めましょう。

 

こうした型を身につけつつ、型にはまらないでいるためには、江戸からの言葉で言う「粋」を知る必要があります。ヨーガの哲学に通じる概念です。権力も、お金も、この命も、何もかも、一時的にあなたに与えられているにすぎないという諦観を肚で理解することです。私たちは、力を、お金を、時間をどう使うのか。ここに自分があらわれる。世間様、あるいは、神様はあなたをじっと見ている。こうした視線で自分を観ていくとき、行為すべてが捧げものになって、そこにヨーガの境地が立ち現われると思うのです。

 

 

リシケシの街かど カーリー女神やシバ神を祀る 日本との共通点はこのように街中いろいろなところに神様が祀られていること (日本ではお地蔵さんが多いですね)

 

スワミ・シバナンダの弟子、オムカラナンダのアシュラムに寄贈された図書館。このような寄付、寄贈はインドのほうが盛ん。布施の態度については、ギーターでも詳しく語られている。「与えるべきだと考えて、見返りが期待できぬ相手に、場所と時間と受者が適切な場合に与えられる布施は、純質的な布施と伝えられる」(17-21 上村勝彦訳)