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前号はこのように終わりました。「5000年前の西インドで、ヨーガで身体を柔軟にして、呼吸を整えて、長く座ることが印章に彫られるほど価値があったわけです。でもそれはなぜでしょうか?
」
「なぜでしょうか?」 と問いかけておいて、すぐ後でこれがものすごく難しい問題であることに気付きました。先週中この答えをアップしたかったのですが、難しすぎたので1週間空けてしまいました。その代わりといってはなんですが、今までのバックナンバーすべてに、いろいろな参照部分にリンクを張っておきました。どうぞご活用下さい。
瞑想の方法についての本はたくさん見つかりました。しかし、それらの本を開くとほとんどが、「瞑想こそが幸せへの道です」 とか、「瞑想は私達の一番奥にある神様を呼びさますことです」
というところから始まります。なぜ瞑想に価値があるのか、科学的に書いてくれた本がなかなか見つかりませんでした。そこで見つけたのが、「瞑想の生理学」
という本。(ロバート・キース・ワレス著 日経サイエンス刊)そこには、瞑想を常日頃している人達に生理学者たちが調査をして、瞑想が人間の生理をどう変えるのか書かれています。
詳細は原本にあたって欲しいのですが、瞑想は、大きく分けると以下のような作用をもたらすそうです。1)代謝率の低下。(呼吸数、酸素消費量、乳酸生産量など) 2)神経、脳が休まる。(α波の増大など) ということは、瞑想とは、身体を休ませて、感覚を休ませる行為と言えそうです。 自分が自分であるという意識は脳と神経の働きから生まれています。このことを考えると、瞑想とは、自分と他という区別を曖昧にして、この宇宙(自然、神様、エネルギー、波、光、バイブレーション、意識・・なんでも良いと思います)との一体感を味わう、つまり幸せ感に浸るということと言えます。だから、瞑想は良いもの、価値があるものなのでしょう。モヘンジョダロの遺跡にあったヨーガの印章を彫った人は、おそらくはこのことを知っていたと思われます。
でも、なんであの格好なのでしょうか。皆さんは足を組んで瞑想をしたことがありますか?5分もしないうちから、足がしびれてきて、最初はがんばって伸ばしていた背中も、だんだん緩ませて猫背にしたくなります。初めからこの格好で気持ちの良い思いをできる人は非常に稀だと思います。ごろ寝していながら瞑想状態に入れれば、これに越したことは無いのに、なぜだか、足を腿の上で組むか、足を恥骨に寄せるか、とにかく椅子の生活に慣れた私達にはきつい体勢が、それこそ古くインダス文明から推奨されています。実際には、多くの人が足を組まずに瞑想状態に入って、気持ちの良い思いをしています。ゲーテは散歩をしながら、しばし瞑想状態に入ったということですし、テニソンや、ワーズワースといった詩人も足を組まずにもたらされた瞑想状態を美しい文章で綴っています。近くはジミ・ヘンドリックスの曲からも同じような詩が聞き取れると思います。
これに対する明確な答えは、結局見つからずじまいでした。ただ、経験的に、足を組んで座ると瞑想に入りやすいということらしいです。おそらくは尾てい骨から、仙骨、腰椎、胸椎、頚椎、頭蓋が安定し、その中に入っている神経の束がまとまり、血液、体液、ホルモンさまざまなバランスが整うのに一番優れた格好であるのでしょう。足を組む瞑想法はいろいろなメソッドが長年にわたって研究されています。ヨーガや禅はそのメソッドのひとつと考えることもできるでしょう。散歩や、薬物の摂取、さまざまな偶然などにより、足を組まずとも瞑想に入った人も多くいます。ですが、残念ながら何度も、自分の意のままに入れた人はいないようです。
ということで、ありがたくも私達にはヨーガが残されています。
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