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「わたしはわたしになっていく−痴呆とダンスを」
クリスティーン・ブライデン著 馬籠久美子・桧垣陽子訳 かもがわ出版
旅の楽しみの一つは、長く乗り物に乗ることです。このモラトリアムの時間。東京では、電車の中の数十分というのが精一杯でも、今回のようにインドまで飛行機にのれば、たっぷり8時間はただその場に固定され、メールも打てず、電話もかけられない。もちろんかかってもこない。原稿だけが書かれるのを待っています。
この行きの飛行機の中では、ある会員さんから借りた、「わたしはわたしになっていく」を読みました。通ってきてくださって数回目で、この本を持ってきてくださいました。おそらく彼女の中で、この本とヨーガの共通点を見出されたのでしょう。控えめに、もしよかったらと、期限を設けずに貸してくれました。
しばらく御苑リトリートの講師控え室で眠っていたこの本、旅行にと取り出して、飛行機の中でいっきに読みました。3人の娘を一人で育てながら、数百万オーストラリアドルの予算と、30人のスタッフをまとめるキャリア官僚としての人生を送っていたキャサリンは、前頭葉が萎縮する病気にかかります。ある日を境に成功者から痴呆者になった人の自伝です。
その後の葛藤と、病状の進行、それによって失われていくもの。そして、得ていくもの。神とのつながり、魂、霊性としての自分、ゆったりとした瞑想の時間、パートナーや家族とのきずななどなど。淡々と、「痴呆者」自身の手で描かれています。
今わたしは二人の子育てをしています。ちょうど下の子が、自分の名前を覚えたところです。自分にレッテルを貼って、これから社会という人の輪に出て行くところです。わたしがわたしを獲得していく第一歩です。痴呆とは、このステップを逆に進んでいくもののようです。じょじょに、社会で得たものを手放し、言葉のない世界にはいっていく。「今」という瞬間に生かされる存在に戻っていく。これもまた、わたしがわたしになっていくプロセスのようです。
この病気はこれからも増えていくという予測のようですが、気ぜわしく生きるわたしたちに、自分にも、他人にも、もっとやさしく、ゆっくりとなさいというメッセージを感じ取ります。
10分ほど前から、ヒマラヤのカンチェンジュンガが右手遠く、水平方向に見えています。どんどんと変わっていくインドの、変わらない部分。ここに神の御座を見たヨーガの修行者は、自らの奥底にも、普遍、不変の真我を見出しました。みんながつながるところ。魂の故郷としての自分です。
筆者はクリスチャンとしての信仰がいかに、自分をささえてきたかを随所で述べています。インドにいると、宗教がいかに人々のバックボーンになっているかを感じます。日本で大きくなっている介護の問題は、こうした生きる力としての宗教がどこかに行ってしまったからというのは言いすぎでしょうか。
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