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坐禅を終えて、バスに乗って近くの温泉まで。帰ってから食事。見た目も、味も大変結構な精進料理を頂きました。お麩の揚げたものと、野菜の煮物にご飯と味噌汁です。普段の生活と大きく違うのが静けさです。禅寺では、食事中と風呂、お手洗いではお喋りをしません。限られた設備と時間を有効に使う知恵なのでしょうが、普段では咀嚼、発声、嚥下、首肯などなど何かと忙しい口、喉周りですが、喋ることをやめるということ一つで膨大な暇ができて新鮮でした。普段、私は自分をそんなにおしゃべりではないと思っていますが、喋らないだけで、ものすごく手持ち無沙汰になってしまいました。この暇に何をするかというと、まず目を動かして周りの人を見たりします。でも全員が全員、同じように黙々と箸を上げ下げしているだけですので、すぐに退屈になります。退屈をもてあまして、なにをしようかなと考えても、何もできません。テレビを見たり新聞を読んだりももちろんできません。できることといえば、箸を動かして、噛むこと、そして辺りから聞こえてくる虫の音を聞くだけです。そうこうしていると、口の中に入っている料理の味と歯ざわりが自分の感覚の多くを占めるようになります。学院でヨーガ断食をしたときと感覚は似ています。ゆっくりたくさん噛んで、食べることに集中すると、脳は早く満腹になったと認識するのでしょう。味覚も鋭くなるようで、野菜の味が良くわかり、よくぞここまで育って私に食べさせてくれるなあと、大げさな感謝をしてしまいます。そしてすぐにお腹がいっぱいになります。
二日目の朝は午前4時に起床。せっかく山奥でのリトリートなのだからと、前回までの合宿よりも1時間早くしました。4時少し前に目を覚ましました。せせらぎの音が聞こえます。このお寺は何が良いかというと、三方を清流に囲まれているので、眠りに着くときも、目覚めるときも、ずっとどこに行っても水の流れる音が耳に入ってきます。
靄のかかる道を少し散歩に出て、朝のアーサナに参加します。夏とは思えない涼しさですが、すこしからだを動かすとじんわり汗が出ます。呼吸法を練習して坐禅の時間です。どうしても膝が痛くて、そこにばかり意識が行ってしまいます。結跏趺坐を解いて安座にしてみると、すこし安定感が出て、しばらくはいいのですが、逆に眠くなってしまいます。この坐禅も睡魔と闘いながら終わってしまいました。
坐蒲をしまい終えるとお寺での大事なお勤め、作務の時間です。雑草を取ったり、お手洗い掃除をしたり、床を拭いたり、することはたくさんあります。ヨーガの世界では、カルマヨーガといわれる修行法になります。お金や名誉など自分のためにするのではない行いを積み重ねることが坐禅やアーサナ、プラナヤーマと同じく自分を高めてくれるという考え方に基づいています。
ひとしきり身体を動かして朝食です。日も高く上り、せみの声も騒がしい中、また黙々と口を動かします。シンプルとはどういうことなのか、良くわかる生活です。
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