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マンゴー通信27号です。お待たせいたしました。「ほぼ週間」を標榜しておきながら、1ヶ月更新をサボりました。言い訳をすると・・夏はイベントが多くありました。禅寺へのリトリートがあり、リシケシからスワミカーティケヤンジをお迎えしたり、8月にはいって夏休み中には、第7期指導者養成コースの教育実習がありました。(私も7期生ですので、実際にスタジオで声を出すところから練習しています)というわけで、更新が大変遅くなりましたが、今後ともマンゴー通信をどうぞよろしくお願いします。
今回の禅寺の合宿のことをお伝えしようと思います。学院では創立以来、夏の合宿は禅寺で行ってきました。ご存知のとおり、禅とはヨーガのエッセンスです。アシュタンガ(八支則)のうちの、ディヤーナが訛って禅那となったといわれています。ディヤーナは日本語では静慮(じょうりょ)とも訳されます。アーサナ、プラナヤーマを練習して、感覚をコントロールすること(制感・プラティヤハラ)ができ、自分の思いを集中すること(凝念・ダーラナ)ができると、ディヤーナのステージに来るのだそうです。こう書くと大変難しそうです。ちなみにディヤーナは英語ではそのものずばりMeditation(瞑想)です。坐禅と瞑想は厳密に言うと違うということなのですが、仏教が日本に伝わったのと同じように、ヨーガ的な瞑想から中国で発展し、それが日本にてさらに発展したのが日本の禅だといえるでしょう。
禅とは・・とにかく坐るという修行そのもののことらしいです。只管打坐とはそういう意味らしいです。他に調べると、禅とは「生き方」、「仏法そのもの」などなど。あるいはヨーガという言葉のような広がりがありそうです。2泊3日のリトリート中、4回、坐禅のチャンスがありました。ヨーガで坐るのと違うのは、まず坐蒲があること。丸い、饅頭の大きくなったような座布団を坐蒲と呼びます。それをお尻の下に敷き、膝頭二つとその坐蒲の3点で上体を支えます。そして、半眼を開けることです。ヨーガでも先生によっては、半分目を開いて、少し前を眺めさせることはありますが、禅では半眼を開けるのはマストであるようです。
右の手のひらを上にして、その上に左手を上向きに載せて、組んだ脚の上におきます。両手の親指と親指を軽く合わせて、きれいな楕円形になるようにします。ここからゆっくり息を吸い込み、吐き出します。
鐘の音を合図に、総勢60人がお互いを背に向け、坐禅に入ります。しばらくして膝が痛くなったので、ゆっくり結跏趺坐を解きました。今度は眠気が襲ってきます。警策(和尚さんに長い棒で肩を叩いてもらうこと)を頂こうと、合掌をして待ちます。パシッとたたかれると、瞬間に眠気が飛んで、冷たい水を浴びたようにいい気持ちになります。それでもまた眠くなります。眠気と格闘していると、終わりの鐘が鳴りました。最初はそんな坐禅体験でした。
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