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三日目。いつものとおり、ガンジス河まで下りて、沐浴。結局アシュラム滞在中は、宿舎のシャワーは使わずじまいでした。
今日は、アシュラムが学院の参加者のためにプージャを設けてくれる日。プージャとはお祈りの儀式です。護摩を焚くのと似ていると言われます。恥ずかしながら、護摩を焚いているのを見たことがありませんので、どこがどういう風に似ているか、説明できないのですが、ヒンドゥー教、仏教圏ではポピュラーな儀式なのだと思います。
シバナンダアシュラムで行ってくれたプージャは、煙の出るろうそくのようなものに火をつけ、その煙をシバ神を象徴する像(男性器をかたどったものです)に浴びせて、その後、ヨーグルトと、豆のカレーなどの食べ物をかけます。その後に、スワミシバナンダが履いたサンダルにも、同じように牛乳をかけて、オレンジ色のマリーゴールドの花を浴びせ投げます。
日本人が海外、特にインドなどのアジア諸国に行って、もっとも新鮮に映ることのひとつは、この「祈る」ということだと思います。私たちは滅多に祈るということをしません。食前に頂きますとは言いますが、人前で、それ以上長いセンテンスを声を出して祈るということはしません。お葬式でも、僧侶以外は声に出して祈ることはあまりないと思います。
インドでは、マフィアも僧侶も、政治家も商人も、金持ちもこじきも、とにかく祈っています。街中にある寺院の前で、運転しながら両手を合わせるタクシーの運転手、朝、プージャがあったからと、額に赤い粉をつけて出勤するOL、営業先行くときには、必ずマントラ(おまじない・真言)を唱えるセールスマンなどなど、インド中祈りに満ちています。
このシバナンダアシュラムでも、年がら年中祈りが捧げられています。朝のお祈り、食事の祈り、夕刻の祈り、夜の講話でのお祈りなどなど。他のアシュラムも同じように祈ってばかりなので、リシケシという街全体がお祈りに包まれているような街です。最初は、食事のお祈りでも、なかなか声が出なかった私たちでしたが、食堂の主、ハリハラジの陽気な声に乗せられて、もうほとんどの食前のマントラを唱えられるようになりました。この日のプージャでも、担当してくれたスワミカーティケヤンジがずっとマントラを唱えてくれていました。リシケシでの生活ももう3日、天上扇がうなるサマディーホールで、マリーゴールドがぽんぽん飛び交う中では、なんだか祈らねばという気持ちになり、まずみんなでインドに来られたことの感謝、旅行が最後まで無事に終わりますように、友永ヨーガ学院が繁盛しますようになんてことを祈りながら、耳で覚えたマントラを繰り替えしました。そのマリーゴールドを分けてもらい、プラサードと呼ばれる甘いお土産を貰ってお仕舞いです。お祈りの後はいろいろなものを置いて来れたような感じでなんだかさっぱりした気持ちになります。「あとは自分のできることをして結果を待とう」
という心理状態になるからでしょうか。
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