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今回は二班に分かれての渡印となりました。一班はデリーイン、デリーアウトのエアインディア班、アシュラムのあとデリーで一泊、そしてデリー市内かタージマハル観光をして帰国。もう一班はデリーイン、トリヴァンドラムアウトのシンガポール航空班。アシュラムの後、南インドのケララ州、トリヴァンドラムでアーユルヴェーダを体験して、シンガポール経由で帰国。
私は南インドを廻って、さらにオプションのコースでペリヤールというケララの山間にある野生動物保護区に行くコースだったので、エアインディア班に入りました。
2004年9月19日午前10時、成田で皆さんと待ち合わせ。待ち合わせの場所まで行くと、いつもお世話になっている大陸旅遊の添乗員が、申し訳なさそうな顔をして待っています。「エアインディア機がインドを発っていないそうです・・」 私たちが乗るはずの飛行機は、前日の夕方にボンベイを出て、それからデリーでさらにお客を乗せて、朝早くに成田に着陸の予定でした。が、ボンベイは出たものの、デリーでテクニカルトラブルが見つかり、そのまま出発できていないとのこと。エアインディアのカウンターの周りには、長い行列が出来てしまっています。話には聞いていたけれども、自分の身に起きるのは初めてのこと。
結局、近所のホテルに一泊することに。もちろんその間の食事と宿泊費はエアインディア持ち。ホテルの部屋が空く3時ごろまで空港内で食事をしたりして、4時ごろにチェックイン。5時くらいにみんなで集り、一階のフィットネスルームでアーサナをしました。皆さん忙しいスケジュールをやりくりしての参加なので、東京に程近い場所でこんな暇な時間を持てるのは稀なこと。「こんなことなら、あの仕事、あんな急ぐんじゃなかった・・」
とか、「この合間にもう一本仕事こなせる!」 とかいろいろな声が出ましたが、不思議に明るい気分で心と身体をほぐしました。夜、先発のシンガポール航空班からの電話。デリーのホテルに全員無事に到着とのこと。
朝食を摂って、テクニカルトラブル修復後のエアインディア機で8時間、家を発ってから37時間かけてデリーに到着。デリーには泊まらずに、そのままバスに乗り込んで一路リシケシへ。私にとっても3年ぶりのインド。渋滞、それを掻き分けて進む人、牛、露天商、バイクの3人乗り、4人乗り、3輪のオート、外国人旅行者を見つけてじっと見つめる眼差し、赤く沈む夕日などはまったく変わらない。でも、金持ちだけが持っていた携帯電話が、ごく一般の人も手に入れているようだし、自動車も昔からのアンバサダーがほとんどなくなり、新しい車が増えたのが分かる。目立つのは韓国車。デリーの外郭を通るアウターリングロードには立体交差が増えている。消費へと向かうインド人のエネルギーを感じる。インドの時代と言われて久しいけれども、一般の人たちが実際に感じられる形での経済成長が今始まりつつあるという感触。おそらく何十年も前の日本もこうだったのだろうと思う。夕闇に舞う埃で、露天のランプの色がセピア色に見える。バスのサスペンションと、道路、どちらもまだまだ悪いので、たまに、こんな考えを一切中断させるような衝撃が脳天まで走る。マンガのように尻が本当にシートから浮くのだ。そんな中、インドが初めての人はバスの窓からシャッターを押しっぱなし。確かにインドはどこを撮っても面白いと思う。
途中、チータルグラウンドというドライブインで休憩、夕食。サモサやバターマサラドーサなどの、南インドのスナックがメニューに多い。トイレも清潔。でも、多分、私たちのことを最後まで待っていてくれたのだろう、食事が終わって特別に冷房を効かせてくれていた部屋を出ようとするその瞬間、すべての電気が消えてしまった。私たちがさっさと帰らないといつまでたっても従業員は帰れない。その腹いせなのか、なんなのか。こういうことに腹が立たないのは、まだ私の中のインドが効いている証拠だ。
夜中の12時過ぎ、家を出て45時間後、私たちはようやくアシュラムの門をくぐり、シバナンダアシュラムでの私たちの宿舎、イシュワルバワンに到着。既にしっかりと眠りに入っているシンガポール航空班を起こさぬように、部屋割りどおりに解散。薄いベッドに、持参したバスタオルの掛け布団に挟まって朝まで熟睡。
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