マンゴー通信 – ヨーガやインド、心と身体の健康などに関すること。 – 友永ヨーガ学院
13.8.30
107号
友永乾史
(友永ヨーガ学院理事、マンゴー通信編集長)


What's Mango Express?~マンゴー通信のご紹介~

 ただひたすらマンゴーを食べるときのようにヨーガを味わって欲しい、インド原産のマンゴーのように多くの人に愛されたい、そんな気持ちで書いています。ヨーガやインド、心と身体の健康などに関することをテーマにほぼ毎週アップします。

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第107号 スワミ・シバナンダのお弟子さん特集その4 スワミ・クリシュナナンダ


 出勤して、まずは玄関前の掃除をします。箒と塵取りで目の届く範囲をちょっとすっきりさせると、軽く汗ばむくらいのちょうどよい運動になります。まだ街路樹には青々とした葉が茂っていますが、早いものでそろそろ落ち葉が増えてきました。蝉の羽も混じって夏も終わりを感じたりしております。

 さて、スワミ・シバナンダのお弟子さんの四人目、スワミ・クリシュナナンダのご紹介をと6月から考えていたのですが、スワミ・クリシュナナンダだけは、どのようにお伝えしたらよいのか、正直お手上げ状態でおりました。

 「むっつりした感じの人で、あまり笑顔を見たことはない」とは、母、淳子院長の弁。「それでもにっこり微笑んでくれて」と続き、「その写真がこれ」と、3Fの大教室の掲げてあるスワミジの写真に辿りつきます。微笑んでくださったのが非常に嬉しかったのか、何度も聞いた話。写真は、たしかに、邪気なく、少年のように笑ってらっしゃいます。

 院長が初めてアシュラムに訪れたときにお目にかかったのがこの方でした。会ったとたん射られたように動けなくなってしまい、「ここに何をしに来た?何を求めにきた?」との質問に、ヨーガの勉強をしにはるばる日本から来たのに、もうすべて、求めた以上を頂いた気持ちになってしまって、「もう何も要りません」とだけ答えて涙が溢れてしまったという話は何度も聞きました。ある意味、このヨーガ教室の発端にいるお方です。

 昨年来日された、スワミ・ヨーガスワルパナンダジは、「チダナンダ・スワミジとクリシュナナンダ・スワミジはまるで陰と陽だった」と、まるで入門したてに戻ったような顔をしておっしゃいました。「チダナンダジがイエスといい、クリシュナナンダジがノーということもあった。それでも、アシュラムにはお二人が必要だった」とおっしゃいます。

 こういうエピソードは頭に入っているのですが、ウッドストックのコンサートで100万人の若者を前にスピーチされるサッチダナンダジ、手の平が大きくて、いつもニコニコ、すべてがオーライ!な感じのチダナンダジ、世界中のシバナンダのヨガセンターに広がる、明るく、折り目正しい、現代的な雰囲気のヴィシュヌデーヴァナンダジ。この3人から伝わるような具体的なイメージがわいてこないのです。

 クリシュナナンダジのホームページには、簡単にその生涯が紹介されています。1922年に生まれ、サンスクリットに堪能で、22歳のとき、どうしても隠遁への思いを断ち切れずにリシケシに辿りつき、スワミ・シバナンダと出会い、クリシュナナンダという名前を得て出家。書くことに非常に長けていたので、文章の編集などを主な仕事とされていた。グルデブはその才を見抜いていて、真剣に学究の道を薦め、二十代前半で ” Realization of the Absolute ”(未翻訳。神の発見という意味になるでしょうか)を記します。1959年にアシュラムの事務局長の任に付き、それまで小さな組織であったアシュラムを、世界中に知られる精神世界の研修所として名が知られるよう献身された。

 文章はさらに続いて、スワミ・クリシュナナンダは、たぐいまれなカルマヨギであり、ニャーナヨギであり、同時に、ギータの教えの生きた見本だったとあります。

 ニャーナヨギとは、知恵を極めて悟りを目指すヨギのこと。その知恵とは、どんな知恵なのでしょうか。クリシュナナンダジ理解の手掛かりとして、スワミジの書かれた “ Yoga as a Universal Science ” (普遍的な科学としてのヨーガ・未翻訳)の一編を訳してご紹介したいと思います。

 「ヨーガとは、心のコントロールだとよく言われる。ヨーガの瞑想と称して大勢の人が心を抑制しようと頑張る。やってみると、これは無理だと思わなくても、非常に難しいことが分かる。その難しさは、心というものが瞑想者と分かち難くあることからやってくる。自分を抑制することが大事だという教えの背後にある重要性を大切にし、理解できなければ、難しいというだけで終わってしまって、そこからどんな警告も助言も受けとることはないだろう。心はそう簡単に自分を抑制することが大事だなんていうことを納得しない。なんだって心は抑制されないといけない?そして、なぜ、心の働きをコントロールするのに人は努力をしなければならない?どうしてヨーガは心の抑制とイコールなのか?なぜヨーガは違うものではいけないのか?このポイントがクリアでなければ、心をコントロールしようという努力は失敗に終わるだろう。明快な考えがなければどんな方向へのどんな努力も最終的には失敗に終わってしまうだろう。

 なぜ私たちは心をコントロールするべきなのか?この質問を自分たち自身に向けてみよう。そう簡単に答えは出ないだろうが。その答えは、この宇宙の構造、事物の本性を研究することで明らかになるだろう。これ以前の二章でみたとおり、宇宙とは、単に、相互に関連しあったモノ同士の莫大な広がりというものではなく、それ自体で完璧なものだ。その宇宙から私たちは独立して、隔離されて存在することはできない。でも、私たちは宇宙を何か私たちと別のものとして、自分の外に見ている。本当は、別のものではあり得ないのに。この宇宙と呼ばれるものは、私たちの外に離れてあるのではない。でも、私たちは頑なにこの宇宙を自分の外にあるものと捉えて、そう言い張る。私たちの内にある、この主張、この固執、この考えの肯定、強烈にこの宇宙は自分の外にあると信じさせようとするもの、それこそがマインド(心)と呼ばれるものだ。―中略― 誰にとっても、何かが、自分の外部にあると意識を働かせることは、そこに孤立した思考、もしくは独立させようとする原理、つまり、ヴェーダンタの心理学でいうアンタカーラナ、パタンジャリが伝えるヨーガの心理学でいうチッタがなければ不可能だ。―中略― マインドが制御されないといけないというのは、これで十分に明らかだろう。マインドは孤立した人格の中心として悪さを行う。マインドは、聖賢シャンカラの言う通り、大盗賊の頭であって、私たちのすべての富を強奪して、すべての人々の目を物欲しそうにして、乞食にしてしまう。」

 知恵とは、この宇宙、心、私たちの存在、そういったものへの知識でした。

 こなれぬ拙訳で申し訳ないのですが、いかがでしょう、ヨーガがまた違った輝きをもって見えてこないでしょうか。ヨーガとは心の止滅であるとは、有名な言葉ですが、盲目的に信じさせるのでなく、同じ立場に立ってきちんと理解させてくれる、厳しいながらも非常に温かいクリシュナナンダジのお人柄が伝わってこないでしょうか。抜粋ですが、訳をつけたお陰で、竹を割ったような、それでいて、隣で暖かい気持ちを与え続けて下さるような、クリシュナナンダジの雰囲気を少し感じられた気がします。

 来月21日からの第12回インド修行と観光の旅。楽しみになって参りました。このようなお弟子さんを惹きつけて止まなかったスワミ・シバナンダ。そのスピリット溢れるアシュラムにお邪魔する予定です。

 それでは、行って参ります!!

Swami Krishnananda - スワミ クリシュナナンダ

「これが”その写真”。少年というか、赤子のような笑顔ですね^^」